祖父(浜月克己 延岡市緑ケ丘)に関するお知らせと連絡先
延岡市緑ケ丘の浜月克己に関するお知らせです。
- 本人のプロフィール・経歴
- 老後及び亡くなった時の様子
- 弔問・墓参り等
- 相続
- よくある質問
- 連絡先
本人のプロフィール・経歴
浜月 克己(はまつき・かつみ)
(旧表記:濱月)
1926年生まれ、2015年永眠。/元旭化成勤務
英奈(博士)の母方の祖父
※同姓同名の方が少なくとも1名いらっしゃいますのでご注意ください
※写真は2014年撮影
主な経歴
1926年:宮崎県東臼杵郡岡富村方財島(現・延岡市方財町)生まれ
延岡工業高等学校卒業
旭化成(薬品工場など)(定年まで)
1950年頃:有川妙子と結婚
1952年:第一子(長女・陽子)誕生
1954年:第二子(長男・S)誕生
1972年頃:延岡市緑ヶ丘の一戸建てに引っ越し
1973年頃:有川妙子と離婚
1970年代?:別の人物Eと再婚
(定年後)更生関係の施設職員
Eが死去
2010年頃:長男(S)問題発生
2013年頃:老人ホームに入所
2015年9月25日:永眠
老後及び亡くなった時の様子
晩年は延岡市内の老人ホームで過ごしていました。認知症はなかったものの加齢に伴う生活上の支障が出始めていたことを帰省中の母が見抜いており、週1回ヘルパーが来るだけの独居生活ではこの先厳しいことが予想されていたためです。
その後、徐々に年齢相応に衰えていきましたので良いタイミングであったと今にしては思います。
本人は慣れるまでに時間がかかったようですが、日常の家事から解放され、安全な施設内で物心共にゆとりが生じたことで考えがまとまるようになり、また、旧友・親族との交流やイベントへの参加など、一人で自宅にいるよりもはるかに安定的で社会的な暮らしが訪れることになりました。
2015年9月25日、食後に容態が急変し、89歳で亡くなりましたが、運良く帰省中であった母の采配の下、「それぞれが自由な形でお別れをしてほしい」として無宗教の通夜(26日)と告別式(27日)を執り行い、友人や同僚のご親族、老人ホーム職員などの皆様に温かく見送られ、旅立っていきました。陽気な人柄を表すかのように“明るい葬式”であったと聞いております。
→こちらもご覧ください(Facebookの投稿)
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弔問・墓参り等
弔問はご遠慮ください。
墓の場所はお知らせしておりません。
当時の自宅(緑ケ丘)への訪問や郵便等の送付を固くお断りいたします。
相続
財産(自宅の土地と建物、預貯金推定約100万円)は永眠後、正規の手続きを踏み、母(陽子)が相続いたしました。
本人が公正証書遺言を残しており、逝去後滞りなく相続の手続きが完了しております。
伯父(長男・S、母の弟)の遺留分については、2010年頃に発生した「長男S問題」により生前贈与とみなされたものがあったため、それを計算に入れて実質ゼロとなっております。
したがって姉弟間で争いの余地はありません。
なお、自宅については生前より老朽化が著しく、現在は住める状態にありません。
→2020年5月の室内写真①(Facebookの投稿)
→2020年5月の室内写真②(Facebookの投稿)
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よくある質問
Q. 逝去を親戚に伝えなかったのですか?
A. 地元紙広告に掲載し、広く周知しましたが、親戚は誰も来ませんでした。
Q. なぜ自宅に共産党ポスターが?
A. 老人ホーム入所期間中、倉庫のシャッターをポスター掲示板として日本共産党に貸していました。これは知人(党員)からの依頼に基づき、本人の了解の上で母が決定したものです。永眠後、しばらくしてから都合により取りやめました。
Q. 顔が似ていないが英奈は本当に克己の孫?
A. はい。一緒にいても「おじいちゃんと孫」には見えないみたいです。でも牛久市の家に祖父が来た際、何気に椅子に座ったときの姿勢が完全一致しており、血は争えないと思いました。
Q. 他に孫は?
A. おりません。伯父には子どもがいないと聞いております。
連絡先
現在、克己に関するお問い合わせは孫・英奈(博士)が承っております。
【連絡フォーム】
※延岡に代理人や身内はおりません。探しても無駄です。上記までご連絡ください。
※祖父(克己)の情報を知りたい方が他におられましたらこのページをお伝え下さい。
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